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【NO.9】 Harley-Davidson(ハーレーダビッドソン)の話

Harley-Davidsonの歴史について、コラムにまとめてみました。全11回。

第1回 1903 ハーレーダビットソン1号車(2004.8.2)

アメリカのミシガン湖の西岸の街、ミルウォーキーで
1903年に、ウィリアム・S・ハーレーが設計し
アーサー・ダビッドソンが鋳型を作り
ウォルター・ダビッドソンが組み立てを担当して誕生した。

自転車に似たフレームに409ccの単気筒のエンジンを
積んでいた。

3人の創造主の名前を取って、ハーレーダビットソンと
名付けられた。

その後、1906年には、ボアを拡げ、575ccにアップした
モデルを発売し50台製造された。
この年が、のちのちのハーレー発展の礎となる。

第2回 Vツイン・エンジンの誕生(2004.8.9)

ハーレーの代名詞とも言えるV型ツインエンジンは
1907年に試作品が完成している。

1909年に発売された7.2馬力810CCエンジンを搭載する
最初のVツインモデルは負圧で作動する吸気バルブを採用していたが
効率が悪く1910年にはVツインの生産を一時停止した。

バルブ方式をはじめ電気系統に至るまで技術改良し翌年には
1000CCモデルを発表した。

ハーレーダビットソンの知名度を上げるためレースにとりわけ
力を注ぎ、1910年代は、アメリカ各地で開催される
エンデューロレースに参加し、多くの優勝カップを手にしている。

初代社長であるウォルター・ダビッドソンは自身が
駆るハーレーで1908年のニューヨーク耐久レースを完全制覇。

これによりハーレーダビッドソンの名は一躍全米に轟いた。

第3回 フラットヘッド(2004.8.14)

1930年に、フラットヘッドと呼ばれるサイドバルブエンジンを
搭載するモデルV、VLが誕生した。
1200CCのエンジンでありながら、高圧縮比仕様のVLは
それまでのモデルよりも高出力を実現した。

フラットヘッドは、1930年〜1936年のモデルV、VL
1937年〜1948年のモデルULなどがある。

1930年代、世界恐慌後にフォードによる低価格の四輪車の普及により
アメリカ国内での二輪車の需要は大きく下がった。

およそ200社あったモーターサイクルメーカーは
ハーレーとインディアンの2社だけとなってしまった。

この様な状況下にあっても、ハーレーは、機械の信頼性向上や
ウェア・アクセサリーの充実により、ディーラーの利益確保を
図ると共に、モーターサイクルを中心とした
ライフスタイルの魅力を打ち出し、ユーザーの心を掴んでいった。

 

第4回 ナックルヘッド(2004.8.22)

1936年に登場した通称ナックルヘッドのエンジンは、
現状でもその造形美から多くのファンを持つエンジンである。

挟角45度のの横置OHV Vツインで排気量は1000CCである。
従来のサイドバルブ方式に比べてオーバーヘッドバルブ方式に
なった事で、40馬力、最高時速160KM/Hの高出力を実現してる。

1941年頃のモデルから、丸みをおびたフュエルタンクと
その上に設置されたスピードメーター、シート下のオイルタンクなど
一つ一つのパーツのこだわりと組み合わせを実現した
スタイリングはとても完成度の高い現在にも通じる
美しさである。

 

第5回 第二次大戦モデル(2004.8.29)

1942年の第二次大戦により、ハーレーの民間需要が縮小され
軍用モデルの生産へ転換された。
軍用モデルとして採用されたのが、戦地での整備が容易である
サイドバルブエンジン搭載のモデルWLを改良したWLAが
中心となった。このためナックルヘッドの生産は、わずか12年の
短い期間で終了してしまった。

この時期には、経営陣にも大きな変化が訪れた。創業者が
次々と他界したのである。1937年には、ウィリアム・A・ダビッドソンが
1942年には社長のウォルター・ダビッドソンが、
1943年にはウィリアム・S・ハーレーがこの世を去った。
しかし、その後に1942年ウィリアム・H・ダビッドソンが社長が
2代目の社長になった。

 

第6回 パンヘッド(2004.9.5)

第2次大戦後、ナックルヘッドで技術的な名声を確固たるものにした
ハーレーは、その進化形として1948年にパンヘッドを発表した。

ロッカーカバーがフライパン状のデザインが特徴的で
当時の最先端技術であったアルミ合成シリンダーヘッド、
油圧タペットの採用を始め、細部まで改良が施されていた。

パンヘッドを搭載した1948年モデルは、翌年のELモデル
FLモデルには先進的な油圧式テレスコップタイプの
フロントフォークが採用される。
このモデルが有名なハイドラグライドである。

1958年には、リア・リジットマウントを油圧式ショックアブゾーバに
変更したFLHモデルが登場する。
このモデルがデュオグライドと呼ばれる。

 

第7回 スポーツスターの誕生(2004.9.12)

1952年に発表された750CCのKモデルは、サイドバルブながら
バルブ駆動に独立した4つのカムを使い、
一体型クランクケースを持つ新設計エンジンを搭載していた。

軽くて速いスポーツモデルを目指したKモデルから
1957年にスポーツスターとして発表される。

当初、865CC、後に883CCとなるOHVエンジンは、高出力を誇り
ハイウェイモデルXLHに加え、さらにホットにした
XLCHが誕生した。

この時代に、デザインされた軽量の2サイクル単気筒車の
S125CCモデルのピーナッツタンクのフォルムが
後のスポーツスターに採用される。

 

第8回 SHOVEL HEADの誕生(2004.9.20)

60年代のアメリカは、巨大コングロマリットによる
激しい企業買収に嵐が吹き荒れた。

健全経営を続けてきたハーレーダビッドソン社は
1965年に株式を公開し、大手機械メーカーの
AMFをパートナーに選んだ。

AMFはハーレーに対して理解があり友好的であった。

AMFの参加になった事で、この時代には
アメリカン・モーターサイクルの歴史の転換点とも言える
数々の意欲的な新モデルが登場している。

名機パンヘッド・エンジンにスポーツスター同様の
ショベル型のロッカーカバーを装着したのは
1966年である。

 

第9回 FXスーパーグライド(2004.9.25)

創業者の第三代であるウィリアム・G・ダビッドソンは
大胆なアイデアを実行に移した。

エレクトラグライドを丸裸にして、フロントエンドに
スポーツスターのフロントエンドを装着した。
ファクトリーカスタムのFXスーパーグライドの誕生である。

この流れは、後のFXSローライダーを生み出す流れである。

後に、FX系はFXRとなり、FXDダイナグライドシリーズへと
進化をする。

1981年にベンチャー精神kら十余人の役員たちが
AMFから会社を買い戻した。

 

第10回 エボリューション(2004.10.3)

1984年、”進化”と名付けられたエンジンが現れた。
V2エボリューションエンジンは、80キュービックインチ
(1340CC)のオールアルミのエンジンは信頼性が高く
充分なパワーを発揮した。

スタイリングもショベルヘッドよりもスマートであるが
伝統的なハーレーのスタイルであった。

そのエボリューション搭載したソフティルは
伝統のデザインを忠実に回帰させたモデルである。
カスタム志向のユーザーが好んだリアのサスを
リジットに変えた50年代風ハーレーカスタムを
フレーム下にショックアブゾーバを備える事で
乗り心地と美しいデザインを両立している。

第11回 TWINCAM88(2004.10.10)

エボリューションエンジン登場から15年が経ち
遂に登場したTWINCAM88。
排気量、1450CCエンジンには、伝統的な1個のカムから
前後独立した二つのカムを配置した。

1999年にダイナモデルに搭載され、2000年には
ソフティル系にも搭載された。

2001年には、2002年モデルとして、VRSCA V-RODが
発表された。
「レボリューション」と名づけられた
DOHC水冷Vツインエンジンが搭載されて、115馬力の
捻出が可能なモデルとなった。

そして2003年、ハーレーは誕生100年を迎えた。

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